私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する
明倫館塾長の永倉です。
「私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する」
この一文は、20世紀を代表する哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの言葉として知られています。初めてこの言葉に触れたとき、私は強い衝撃を受けました。哲学的で難解な響きがありながら、どこか教育の現場にそのまま当てはまるような感じがあったからです。
教室で日々生徒と向き合っていると、「できない」「わからない」「無理」という言葉を、頻繁に耳にします。けれど、その多くは、本当にできないわけではありません。話を聞いてみると、「どう手をつけていいかわからない」「説明できるほど理解していない」という状況であることがほとんどです。ここで、ウィトゲンシュタインの言葉が重なります。言語化できないことは、本人にとって存在しない世界と同じなのです。
私たちは「わかる」という状態を、しばしば曖昧に扱ってしまいます。しかし、わかる・わからないの境界は非常にシビアです。自分の考えを言葉にできるか。途中式や理由を説明できるか。友達に教えることができるか。これらができて初めて、その知識は「自分の世界の一部」になります。逆に言えば、言葉にできない理解は、まだ自分の世界に組み込まれていない理解なのです。
ウィトゲンシュタインは、後期の思想において「言葉は使われ方の中で意味を持つ」と考えたそうです。これは教室でもまったく同じです。単語や公式を覚えるだけでは意味は生まれません。それを使う経験を通して、初めて言葉は生きた知識になります。だから、「説明させる」「書かせる」「言わせる」ことが重要であると考えています。さらに、答えが合っているかどうか以上に、「どう考えたのか」を言葉にする過程を重要であると感じています。
また、この言葉は生徒だけでなく、私たち大人にも向けられていると感じます。「この子はやる気がない」「勉強が苦手だ」という言葉で片付けてしまった瞬間、その子の可能性は、私たちの言語の限界によって狭められてしまいます。言葉は世界を映す鏡であると同時に、世界を形作る枠組みでもあります。どんな言葉で子どもを見るか。その選択一つで、見える世界は大きく変わります。
生徒が新しい言葉を手に入れるとき、世界は確実に広がります。「なるほど」「そういうことか」「つまり〜ということですね」と言ったときの表情は、何度見ても胸を打たれます。それは単に問題が解けた喜びではなく、自分の世界が一段階広がった瞬間だからなのです。
勉強とは、知識量を増やす作業ではありません。自分の世界を、言葉によって拡張していくものです。明倫館はこれからも、言葉を大切にする指導を続けていきたいと思います。生徒一人ひとりの世界が、少しずつ、しかし確実に広がっていくことを信じています。
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