言わねばならぬ

 こんばんは。鈴木です。
 中1・中2の学力調査が終わり、よい知らせが次から次へと寄せられて、嬉しい限りです。ただ、両学年とも220点台続出で、「よく頑張ったなぁ」と感慨深い一方で、惜しくも200点に届かず辛酸を舐めている子もいるわけで。ひきこもごもであります。まだ全ての学校で全教科出揃っているわけではないので、最終結果はお伝えすることができないのが現状です。

 私自身は、よい結果が出たときのほうが警戒します。

 慢心を生むからです。

 そして、その慢心をきっかけにして、その後長期にかけて徐々に落ち込んでいくのが世の常。勉強のみならず、日常のあらゆることに共通していることだと思います。

 他方、上手くいかなかった子に対しては、内心「ここから頑張ってくれるだろう」と思っていることが多いです。

 しかし、注意したいこととしては、結果が出なかった子は勉強することが嫌になってしまい、その後ほぼ何もしなくなってしまうという危険性をはらんでいることがあげられます。結果が出なかったことに腐ってしまうんですね。

 その芽はつまねばなりません。しかし、励ましたり慰めたりするだけにとどまってはならないなとも思います。言いたいことは言った上で励ましたり慰めるのです。でないと、進歩していかないと思います。

 ですから、今回の結果に対してショックを受けているにもかかわらず、また同じ過ちを繰り返そうとしている子に対しては、その子のためを思って言わねばならぬことがあります。
 例えば、本日担当した中2の子の場合、問題を解いて直しをするときに、その直し方が明らかに中身を重視していない。そのため、その子には、

「ただ書いていても、意味がないよ」

 と、相手の目をしっかと見据え、ビシッと伝えます。それだけで十分通じます。現に、その子が次に直しをするときには「これでもか」というくらいよく見るようになってくれましたので、しっかりと反省してくれたのだと思えました。そもそも、なぜこの子が「明らかに中身を重視していない」と思ったのかといえば、直しを見せてもらった際に、いくつか直した部分を質問してみたためです。そのときその子は、今直したばかりの問題を答えられなかったのです。「これではいかん」と思いました。ですから、「言わねばならぬ」のです。本人が気づかぬうちに繰り返している悪いクセ、習慣はこちらが見つけ、しっかりと断たねばなりません。

 大きなテストや調査の後は、その悪習を断つ絶好の機会であり、そういった瞬間を私たちは見逃してはならないのです。慢心している者には「今がピークになるなよ」と釘を刺し、落ち込んでいる者には「こうすればよくなっていく」という道筋を示すのです。

 そして、依存関係にならないように気をつけます。最終的には自分自身が何とかしなければならない、ということも学んでもらう必要があります。その意味で、次にあげる中1の子の話は示唆に富んでいると思います。
 その子は、いつも親御様に尻をたたかれては勉強をし結果を出していたのですが、今回ばかりは自分でやらねばと思い立ち、親御様に言われなくとも自主的に勉強をし始め、学力調査200点以上の好成績を収めました。今回は自分で取った! と思ったのでしょう。誇らしげに答案を見せてくれました。

 以前、『自由からの逃走』という本を読んで学んだことですが、結果ではなく、やはり過程が大切なのです。過程がよいから、結果が出る。この当たり前なことが、実に見逃されがちです。

 子どもたちは装います。格好をつけたがります。

 大人はその皮をはがさねばなりません。はがして陽を照らし、よりよい方向へと導いてやらねばなりません。子どもに簡単に騙されてはいけませんし、何より子どもたちは騙される大人たちを下に見ます。そうならないためにも、本質をついた、核心をついた話をどのくらい子どもたちに提供できるか。それにより、どのくらいの子どもたちが変わっていくのか。そこが、塾としての存在意義であると感じている今日この頃です。これからも、「言わねばならぬ」を見つける旅は続くでしょう。