死への先駆

 こんばんは。鈴木です。 


 私立入試が終わり、例えば静岡学園を受験した中3附属生がみんな特待「S」や「A」をもらえていたので、いよいよ学力も仕上がってきた感があります。

 しかし、合格に絶対はありません。

 最後まで気を抜かず、走り抜けましょう。そして、受験が終わっても高校からがほんとうの始まりです。出遅れぬよう、すぐに準備をし始めましょう。

 さて、タイトルが怖いですね(笑)。ご存知の方は何のことかわかると思うのですが、「死への先駆」とは哲学者ハイデガーの言葉です。

 死は、あらゆる瞬間に可能である。この死を誤魔化さず、それに向き合う姿勢を「死への先駆」と言うのです。

 ハイデガーは、人は、人がしたいことについて、なぜそうしたいのかがはっきりとしていなかったり、わからなくなってしまうことがある、と言います。

 人生は、いつの間にか「何となく生きる」になりやすい。そうならないために、いつか死ぬということを思い出し、「だったらやるべきことはこれだ!」とあらゆる可能性の中から「何となく」ではなく、「確信をもって」選べるようになろう、とハイデガーは主張しているように思います。

 死と向き合うことで、目指す道は明確になる。
 死を見つめることで、何が自分にとってほんとうに大切なことなのかがわかる。

 私は、前も書いたことがありますが、幼少期から「何で人は死ななければならないんだろう」「死にたくないな」と節目節目で思ってきました。今もそれは変わりません。いつか必ず訪れる死を想像して、「どうなるんだろう」と頭が真っ白になることもあります。しかし、その度に「死を忘れるくらい思いっきり生きねば」というような吹っ切れた気持ちになります。矛盾しているようですが、死と向き合うことで死を忘れようとするのです。そして生の充実を図ろうとする。そのようなことを繰り返しています。

 若いみなさんは、死が身近ではないかもしれません。しかし、ハイデガーが言うように、それは今この瞬間に訪れるかもしれないのです。

 自分の生に自覚的でありましょう。

 自分がほんとうのところ何をしたいのか、考えてみましょう。

 みんながそうしているから、ではなく、自分はどうしたいか、が大切です。

 もうじき入試も終わり、また新しい季節がやってきます。

 気持ちを新たに刷新できるよい機会です。

 人生には限りがあるという認識が、真摯で誠実な選択を生み出します。

 そうした選択ができるようになれば、それは自らが心の底からのぞんだことですから、よい結果になろうが、悪い結果になろうが、全てを背負って満足することができるはずです。そのように人生を感じられるようになれれば、どんなことがあっても真っ直ぐに生きていけます。

 偉そうに言っていますが、私もまた過渡期です。共に精一杯生きて参りましょう。